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高齢者福祉を通じて学んだこと

私はこれまで、介護職やケアマネージャー、成年後見人として20年以上、高齢者の支援に関わっています。

20年以上、色々な業種で高齢者支援に関わってきたので、それぞれの業種について実務の知識や技術(例えば、排泄介助の方法や、ケアプランの考え方、後見、補佐、補助の違いなど)は挙げればきりないほど学びましたが、今回は、私自身の人生観に大きな影響を与えたようなことについて書いていきたいと思います。

その中の一つに、

「家族に見送られないことは決して不幸ではない」

ということがあります。

それまで私は、なんとなく

「家族がいない人はさみしい人」

「最期は家族に見送られるのが幸せだ」

と思っていました。

誰に教わったということではなく、自然と自分の中に形成されていたように思います。

しかし、老人ホームの利用者Aさんと出会ってからそのような考え方は私の中でなくなりました。

Aさん(女性)は、結婚歴があり、子どももいます。

しかし、30代の頃、家族を置いて一人で家を出ました。

その後、どのような生活をしていたかは分かりませんが、70才の頃ホームレスのような状態で、道で倒れているのを警察に保護されました。

そのまま、行政も関わり老人ホームを利用するようになりました。

Aさんの家族は、自分たちを置いて出て行ったAさんとの関わりを拒否したため、本人の判断能力の程度から親族以外の後見人がつくことになりました。

それから数年後、Aさんは、看取り期に入ってきました。

私はそのとき、Aさんの担当ケアマネージャーをしていましたので、後見人とも話し合い、Aさんを施設で看取ることになりました。

後見人から家族に連絡をしても、面会は拒否。

Aさんは、施設の職員に見送られながら最期を迎えました。

葬儀は行わず、直葬という形で荼毘に付されました。

火葬に立ち会ったのは、後見人、施設長、私の3人だけでした。

Aさんを看取り、Aさんのこれまでの人生を振り返って思ったこと。

それは、

「家族に看取られなくても、不幸ではない。それも本人の人生ではないか」

ということです。

決して、子供を置いて家を出ていくことやホームレスになることを進めているわけではありません。

ただ、一般的な社会常識から逸脱したような行動でも、きっとAさんの中では色々なことを判断して、一生を終えたのだと思います。

「家族に看取られて最期を迎えても、家族以外の人に看取られて最期を迎えて決して不幸なことではない。そういう人生があってもいいんだ」

これがAさんを通じて学んだことです。

 

以上、Aさんとの出会いで学んだことを書かせてもらいました。

他にも高齢者の支援を通して、たくさんのことを学びました。

もしかしたら、支援されていたのは私自身ではないかと思うくらいです。

またの機会に書いていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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プロフィール

スター行政書士事務所 山田拓郎
1999年に社会福祉法人に入社し、特別養護老人ホームの介護職・生活相談員・ケアマネージャー、グループホーム管理者として勤務。

「一人ひとりが輝ける社会の実現を目指す」をミッションにスター行政書士事務所を開業。現在は、福祉事業所の開業支援や任意後見人として活動している。認知症ケア・虐待防止研修等の講師。

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